社会医療法人渡邊高記念会
渡邊高記念会グループの未来
誰もが、この街で、安心して 暮らし続けていけるための「地域医療」を。
1965年、前回の東京オリンピックの翌年、日本中が活気にあふれた時代に産声をあげた私どもの法人は時代の変化や進歩する医療と共に、常にその時代にあって最高で最良の医療を提供したいと願い前進を続けてきました。
現在私どもは急性期医療から在宅支援、介護に至る様々な事業を展開しています。人工関節センターを併設し生活支援型医療を展開する「西宮渡辺病院」、心臓・脳・血管の専門病院である「西宮渡辺心臓脳・血管センター」においては専門性に裏付けされた高度急性期から在宅に至る心臓と脳そして血管に対する治療が可能です。「西宮渡辺脳卒中心臓リハビリテーション病院」は外来に心臓リハビリテーションを併設した新しいコンセプトを持つ回復期リハビリテーション病院です。
私どもが運営する20を超える施設や組織はその全てが西宮市に集結し、各々が各々の特性を生かし互いに連携をし地域の安心と安全に貢献することを目指しています。1995年の阪神淡路大震災は私たちの住むこの西宮に大きな傷痕を残しました。私たちの法人の原点である西宮渡辺病院はその激震地の真ん中にあり西宮で一番多くの方が運ばれてきた病院でした。多くの方の命が奪われ、多くの方の生活が一変しました。多くの高齢者がこの地域からの転居を余儀なくされたのです。
この地域で医療を行う法人として私たちに出来ることとは、これから私たちが目指すべき事とは?あの震災の後に私たちは改めて私どもの有り方を問い直し再出発を果たしたのです。共に助け合う地域社会の要となり、「健康増進社会」の要となることは私どもの変わらぬ願いです。いつの時代にあっても皆様と共に皆様の生活と健康を支える私どもでありたいと願ってるのです。
地域の方のためにできることを一つでも多く実現していきたい
救急体制の強化は私たちの開院以来の変わらぬテーマです。
進む高齢化の中で救急医療のあり方と課題は大きく変化する時をむかえています。
JR 西宮駅南側にある心臓脳血管センターは時代の要請に応える高度急性期専門病院として平成18年に開設されました。日本人の死因の一位は悪性腫瘍ですが脳血管と循環器疾患をあわせると死亡原因第一位の悪性腫瘍を越えます。心臓脳・血管センターで行っている医療は地域の方に健康に自分らしく生きていただきたいと願う私たち法人の願いに直結しています。
突然に発症する心筋梗塞や脳梗塞は時間との勝負で病院を選んでいる時間はありません。発症前の予防や再発予防には生活習慣の改善やしっかりとしたリハビリテーションが必要です。
地域医療に携わる私たちが中心となり地域ぐるみで取り組む高度急性期から生活支援に至る支援の活動が最も必要な医療のかたちというわけです。平成29年には心臓リハビリを行うための心臓リハビリクリニックを開設し平成30年には回復期リハビリ病院に心臓リハビリが併設された新しい取り組みである脳卒中心臓リハビリテーション病院を開設しました。
脳卒中心臓病対策法案が可決成立し施行されたのは令和元年、私たちにとっては励みとなる法案の成立でした。
私たちの法人は現在、在宅支援病院である西宮渡辺病院、心臓脳・血管センター2つの急性期病院を中心に医療介護連携の輪をつくることにとり組んでいるのです。
私たちの法人は現在高度高度急性期から在宅支援に至る全てに対応可能な法人へと進化しているのです。
コンセプトが、グループ全体をつなぎ、一人ひとりをつなぐ
医療には急性からの様々な流れがあります。高齢化社会においては病気は単独ではなく退院時に全てが完治というわけにはいきません。私たちは様々な取り組みをしていますがこれは決して戦略的におこなってきた結果ではありません。その出発点は常に現場での患者さんとの出会いであり、この問題を何とかしたいというスタッフの思いです。患者さんから頂いたテーマを各々の思いと重ね合わせチームとして実現をしていく、そんなチーム医療の実現が私たちの進化の源であり強みであると信じています。
「生活支援型医療」のために病院からもっとアクションを
世の中も、地域の構成も、目まぐるしく変化していく昨今、疾患だけでなく「生活そのもの」を見てケアしていかなければ医療は成り立たなくなっています。だから今私たちが目指しているのは、生活支援型医療。病院からもっとアクションを起こして変わっていかないと本当に求められる医療には届きません。特に西宮市では都市型の高齢化が大きな課題となっています。最後まで西宮の景色を眺めて過ごしてもらえるように、安心してこの地域で暮らし続けられる環境づくりに取り組んでいます。
これからも、変わらないために、変わり続ける
「この地域で安心して暮らしていただくための医療を」というコンセプトを掲げて以来、その信念はずっと変わりません。その変わらないものを守っていくために、私たちはチャレンジすることで変わり続けてきました。少しずつ、一歩ずつ。時には大きな決断をして。決して大きな病院ではありませんが、だからこそスタッフ一人ひとりが自らアイデアを出し合い、チームとなって病院を常に新しいものにしています。もっともっと地域のためにできることがあると信じて。私たちはこれからも、この街とともに、この街の人と暮らしに寄り添う地域医療を提供し続けたいと願っています。